No.132 大学に何を期待するのか?

なんでも女子高生を理系に呼ぼうとする計画文部科学省で進んでいるらしい。

理工系の大学というのは、大概はどこへいっても男塾で、女性の比率は1割にも満たないなんてザラである。特に俺らの代って、機械系や情報系は散々な有様だった。さらに言いたくないがその数少ない女性も標準に満たな(以下自主規制)

で、理工系に進んだら卒業研究というのは避けられない。しかもその卒業研究は、基本的に研究室の教授のテーマのお下がりなので、必ずしも自分の希望する研究はできない。というか「単位を取るため」「卒業するため」に数ヶ月間「研究」という作業の名において、教授のサポートをするようなものであろう。

俺は学部の時、修士の時とタイム的には3年間(でも俺は生来の怠け者なので、実質研究に割いた実数は1年にも満たないだろう)少なからず研究というものに携わってきて、「どうにも俺には研究者向けの根性がない」ことを肌で実感したがために民間の企業に就職したのである。つまり研究というものからは、大学を出たらきっぱり足を洗うつもりでいたし、やっていた。教授連中からの評価は「やる気ない奴」だったに違いない。

ぶっちゃけお金を払って研究するのとお金を貰って研究するのでは、モチベーションが俺の場合は圧倒的に異なった。大学では研究のための環境や設備は提供してくれるが、授業料を払いながら教授の学会内の評価を高めるために俺は研究をしてるのではないか?というのが、研究に抱いた率直な感想。これが芽生えてからはポジティブには取り組めず、大学を出るための試練としか捉えられなかった。結局「やらされている感」は最後まで残っていたなあ。

ここを見ている高校生諸君に言っておく。大学に進む時点で、自分の将来像のビジョンが見えている者は一握りであると言わざるを得ない。大概は受験勉強から解放されて、これから4年間遊べるぞ!という想いで大学に進むのだから。

大学に入って勉強するぞ!という志を持つことは誰でも出来るが、実際に学生証をもらうと周りの人間やら環境やらが一変し、これまでとは違う自由に流され、学生本来の目的の勉学は自然と疎かになっていく。でも大学は学問的な勉学の場ではなく、社会勉強する場と思っているので、ある程度流されたり羽目を外すのは許容すべきだ。まあスーパーフリーみたいになったら目も当てられんし社会的制裁も食らうので、その辺の最低限度のモラルは要るがな。

省庁の堅物連中が、こういった現状を把握した上で、前述の計画を策定しているのか?気になるところだ。ここで一つだけ言っておくと

大学での一般教養よりも自動車免許を取ることが生きる上で重要だ!